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珠玉のクソレコ(空想レコード)レビュー「Don Juan」/「Don Juan(邦題:球体戦争)」

仕事の合間に、趣味で作成していたLPサイズのフォトコラージュに「こんなバンドいたらいいな」という具合に架空のバンドを後付け設定してみるこの企画。

今回は70年代前半を流星のように駆け抜け、成層圏で塵と化したバンド「Don Juan」のレビューをしてみました。


ですので以下の記述は全くの創作・デタラメです。

 

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1973「Don Juan」1st.album「Don Juan」邦題:球体戦争

 

歴史
米国ミズーリ州で養豚業者を営んでいたマイケル・ピッグメン・カラスコは、1972年にカルロス・カスタネダ著「呪術師と私-ドン・ファンの教え」に衝撃を受け、経営する養豚業者の豚を全て売り払い、ジェファーソンシティにある質屋でフェンダーメキシコのテレキャスターを購入する(後にこのテレキャスターはネックだけを取り替えた中国産であったと本人は証言している)。

 

同年、豚の売却金を元手にセントルイスへ引越し、壁紙が薄緑色で道路に面していない部屋を借り、イーズ橋で「縦に重なり合った二つの輝く球体に見える人間」を探し始めるが、見つからないため2ヶ月で挫折し、メンバー募集の張り紙を「できるだけカラスがとまっている電柱」に貼付けて歩いていた(※要出典)

 

メンバー募集の張り紙に「求む。煙と盟友の人間。楽器ができるとことさら良い」などと書いてしまったので、大麻の売人や冷やかしで連絡をしてくる者が後を立たなかったが、当時文化人類学を専攻していたものの、就職が決まらずにぶらぶらとしていたジェシー・ジェイムズと名乗る人物(ジェシー・ジェイムズはアメリカ西部開拓時代のガンマンの名前なので、本名ではない可能性が高い)が張り紙を見つけ、マイケルに連絡を取る。

 

初顔合わせの当日は「セントルイスのどこかのバス停で15時」という至極曖昧なものであったものの、奇跡的な確率で二人は同じバス停に現れることとなる(※要出典)

 

二人はすぐに意気投合し、バンドを組むことを決意。バンド名はカスタネダシリーズの登場人物より「Don Juan/ドンファン」と命名された。

他のメンバーはジェシーの大学時代の同級生を誘い、初期メンバーである


マイケル・ピッグメン・カラスコ/Vo./Gu.
ジェシー・ジェイムズ/Gu.
マーティー・ローズ/Ba.
ディック・チョウ/Dr.


の4人体制で練習スタジオに籠る日々がはじまる。

 

ちなみに金銭的な問題はマイケルが豚を売り払った残金で工面していた。

 

翌年2月にセントルイスのライブハウス「コールドターキー・スイムクラブ」で初のライブを経験。
ベースのマーティーが一曲目「ポークチョップ・ブルース」でのベースソロを長く取りすぎたため、ライブ後にマイケルと言い争いになってしまう。

 

この時マーティーが吐いた

「この汚いブタ野郎!」

という台詞でマイケルは激怒

「ブタは汚くない! むしろキレイ好きだ!」

と激しく反論し、その結果マーティーはクビになってしまい、以後ジェシーがベースを務めるようになる。

 

3ピースながらも客席から演者が見えないほど過剰にスモークを焚く、途中で自身のサイケデリック体験を豚の解体と交えながら延々とギターのフレーズに載せるなど、ブルース寄りからスピリチュアルな方向に転換したバンドサウンドは、徐々に人気を博していく。
(豚の解体トークがあまりに的確すぎるため、音楽に興味がない畜産関係者も多く訪れていた※要出典)

 

これが当時セントルイスにあり、DOORSの二番煎じを探していた小さなレコード会社の社長の目にとまり「Don Juan」はレコードデビューを勝ち取ることとなる。

 

契約から3ヶ月後に発売されたファースト・アルバム「Don Juan」は、マイケルの方向性が如実に反映されるも、売上的には失敗に終わる。
この頃より、豚の売却資金が尽きたマイケルは方々に借金をするようになり、生活は荒れていった。

 

また、この失敗からドラムのディックが「豚は食えても音楽は食えない」と捨て台詞を残して脱退。残ったジェシーも金銭的な理由から副業としてやっていた大学教授のフィールドワークの手伝いに南米に行くこととなり、バンドは解散となる。

 

一人残されたマイケルは失意の中、実家に戻り親戚のツテを辿って再び養豚業者に復帰し、現在では豚に聞かせると肉質が良くなる音楽の研究をしている。

 

レビュー
一曲目「ナワール・パート1」から最後の「ナワール・パート16」まで全体を通して破滅的に気の抜けたSEが散りばめれている。
しかし、そこが逆に稚拙な演奏を一種スピリチュアルと言っていいほどまでに昇華させているスパイスであるとも言える。
特筆したいのは時折入る豚の鳴き声で「豚の鳴き声とはこれほど沢山の種類があるのか!」という元養豚業者ならではのアイデアで、人生に全く役に立たない気付きを与えてくれる。

 

そもそもテクニック面や知識不足を補うために「養豚」という得意分野をこれでもかと入れてしまった感はいなめないのだが、見方を変えればロートレアモン伯爵の「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い」という着想から音楽をコラージュしていたとも言えなくはないかも知れない。
後世の評価を待つ早すぎた一作である。