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ハロウィンから一夜明けて

狂気のハロウィンから一夜明け、11月に突入した。

悲しいかな、どうしても渋谷に行かなければいけなかったので、東横線でゆらゆら揺られ、地下から渋谷の街に躍り出ると、そこは出口ではなくて、冥府魔道の入り口でした。

 

もはや珍奇な衣装を纏っていなければ非国民だと言わんばかりの彼らの盛り上がりに、

「おれもあれだよ、結核ポール・ウェラーのコスプレなんだよ」

と思いながら歩いてみたものの、当たり前だが一体化出来ずに気持ちは沈み込むばかり、その時イヤフォンから聴こえてきたのは憂歌団の『嫌んなった』。何とかしてくれ神様仏様と、空気を読むアイフォンに苦虫を噛み締めながらも、無事に用事を終え、帰る頃には更に阿鼻叫喚の地獄絵図、と言うとかっこ良く聞こえるが、そこまで画数多めのことではなくて、要はおれも含め、普段はダメな人がもっとダメになって、輪になって踊っていたのである。

 

そもそも、ハロウィンは古代ケルトのお祭りである。死者の霊が家族を尋ねるというお盆にも似たその行事は、10月31日、ケルト人の夏が終わりを迎える日に行われる。そして翌日からは暗く、長い冬がはじまるのである。

で、その死者の霊は家族だけじゃなくて、たまに危ない精霊や魔女が混じってるっつうんで、「そりゃ一緒に家の中、入れるとまずいよね」という理由から、仮面を被って魔除けの焚き火をたいていたのである。これが転じてジャック・オー・ランタンとなり、素材のカブがいつの間にかカボチャになり、いつしか大陸を越えて、ミニスカポリスや権利関係のややこしいコスプレになったのである。

 

10月31日、ケルトの村々では、ドルイドの司祭が篝火を焚くと、村人たちは一斉に家の火を消す。司祭が篝火の周りをぐるぐるとまわり、作物と動物の犠牲、生け贄を捧げ、村人たちは屠殺した牛骨を炎の中に投げ込む。翌朝、司祭たちが燃えさしを各家庭に配り、新しい火をかまどに宿し、冬の到来に備えるのであった。

 

しかも、この日は1年に1回、この世と霊界との目に見えない門が開き、自由に行き来できると考えられていたことから、ことさら魔除けとしての火というのは重要だったのである。

 

さて、ケルトの精霊はタチのいたずら好きが多い。このことから、しっかりと篝火を炊いていなかった大陸を跨いだ大都市、渋谷では、多くの悪い精霊達が人々に取り憑いた結果、あのような享楽・悦楽・桃色都市と化してしまったのである。

 

その証拠に、精霊が去っていった月曜日には、気が大きくなっていたサラリーマンも、露出し過ぎたOLも、みんな何くわぬ顔をして、いつもの生活に戻っているだろう。まだ精霊が取り憑いていて、戻ってこれない人もいるかもしれない。来年、渋谷区は警察を動員するのではなく、ドルイド司祭を動員して、ハチ公前で巨大な篝火を焚き、近隣住民は恐ろしい顔をしたマスクを被り、精霊が捨てていったゴミを投げ入れながら、ハロウィンを粛々と祝うべきなのではないだろうか。